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熊本地方裁判所 昭和42年(わ)72号 判決

被告人 古澤継喜 後藤国利

主文

被告人両名はいずれも無罪。

理由

第一本件公訴事実の要旨は

被告人古澤は昭和二八年一二月一日から同四〇年一一月一日まで阿蘇郡波野村々長であつた者、被告人後藤は昭和四〇年七月当時同村総務課長兼同村議会事務局長として勤務していた者であるが、「波野村工事分担金条例」及び「失業者の退職手当に関する条例」はいずれも所定の公布手続がなされていなかつたのに拘らず、被告人両名は共謀のうえ行使の目的を以て、昭和四〇年七月頃阿蘇郡波野村役場において、同村議会事務局備付の条例原本綴の中

(一)  昭和三一年二月二四日同村議会が議決した「波野村工事分担金条例」を制定する旨の同村々長名義の文書の右側余白に被告人後藤が「波野村工事分担金条例をここに公布する 昭和三十一年二月二十四日」と記入し、その左下方に被告人古澤が「波野村長 古澤継喜」とペンで署名し、

(二)  昭和三一年三月三〇日同村議会が議決した「失業者の退職手当に関する条例」を制定する旨の同村々長名義の文書の右側余白に被告人後藤が「波野村職員の失業に対する退職手当支給条例をここに公布する 昭和三十一年四月一日」と記入し、その下方に被告人古澤が「波野村長 古澤継喜」とペンで署名し

もつて、それぞれ村長の職務に関し、前記各条例について制定当時所定の公布を行つた旨の内容虚偽の各公文書を作成し、即時各同文書を真正なものとして同村役場に備え付けて各行使したものである。

と謂うのである。

第二よつて当裁判所は以下逐次検討する。

(一)  被告人両名の身分及び所為について

被告人両名の当公判廷における各供述、第一回、第八回各公判調書中被告人両名の各供述部分、第四回公判調書中証人古澤継喜同後藤国利の各供述部分(相被告人に対する関係においてのみ)、条例公布写、条例原本綴(昭和四二年押第五六号の一)、古澤正人作成の「任意供述書」と題する書面によると、被告人古澤は昭和二八年一二月一日から同四〇年一一月一日まで阿蘇郡波野村々長であつた者であり、被告人後藤は同二九年頃同村役場に庶務主任として就職し、同三二年頃課制が採用されて総務課長に就任し同四二年二月頃までその地位にあり、その間同村議会の書記、同三六年頃同議会に事務局が設置された後は同議会の事務局長を兼ねていて条例に関する事務を処理していた者であるが、被告人両名は行使の目的を以て昭和三九年二月頃から同四〇年五月一五日頃までの間に同村役場において、当時波野村議会議決書綴(同号の九)に編綴されていた(その後前記条例原本綴に編綴された。)公訴事実記載の各文書に被告人後藤が公訴事実記載のような各公布文及び日付を記入し、被告人古澤がそれぞれにペンで肩書及び署名をなして各公文書を作成し、その頃右各公文書を同村役場に備え付けていたことが認められる。

そこで、検察官は本件各条例はいずれも所定の公布手続がなされていなかつたものであり、従つて被告人両名の所為はいずれも内容虚偽の各公文書を作成してこれを行使したことになる旨主張しているので、以下この点について判断する。

(二)  法令の定める条例の公布手続について

条例の公布手続については地方自治法第一六条に規定されており、同条第二項によると普通地方公共団体の長は普通地方公共団体の議会の議長から条例の送付を受けた場合において、再議その他の措置を講ずる必要がないと認めるときはその日から二〇日以内にこれを公布すべく、同条第四項によると普通地方公共団体の長の署名、施行期日の特例その他条例の公布に関し必要な事項は条例でこれを定めなければならないことになつている。しかるに、被告人後藤の当公判廷における供述及び波野村規則綴(同号の七)に編綴されている波野村役場公告式規則によると、同村においては同規則は制定されているが、条例の公布に関する事項を定めた条例は未だ制定されていないことが認められる。ところで地方自治法第一六条第五項によると普通地方公共団体の規則の公布に関し必要な事項は条例の公布に関する事項を定めた同条第四項が準用されている。条例と規則はその制定機関は異なるが、いずれも当該普通地方公共団体の住民を拘束する法規であり、しかも公布の目的が住民に公布事項を周知徹底させるにあることからすれば規則の公布に関し条例の公布に関する規定を準用することは相当であるからである。そうすると規則の公布に関する規則があつて条例の公布に関する条例がない場合には、条例の公布について特に地方自治法第一六条の趣旨に反しない限り規則の公布に関する規則を類推適用して妨げないと解すべきである。

そこで、波野村役場公告式規則第二条第二項によると条例を公布しようとするときは公布文及び日付を記入してその末尾に村長が署名しなければならず(同項は村長の署名の他役場名を記入して役場の印を押捺することを要求しているが、地方自治法第一六条の趣旨からすると公布の主体の表示としては村長の署名のみで足りると解する。)同規則第二条第三項によると条例の公布は同村役場前の掲示場或は必要に応じ公衆の見やすい場所に掲示してなすことを要することとなつている。

(三)  本件各条例の公布手続について

(1)  本件各条例の送付について

被告人両名の当公判廷における各供述、第四回公判調書中証人古澤継喜同後藤国利の各供述部分(相被告人に対する関係においてのみ)及び第八回公判調書中被告人後藤の供述部分によると前記条例原本綴編成の経過は、波野村においては昭和四〇年頃まで条例、予算その他議会における議決書を前記議決書綴に編綴していたが、その頃昭和四〇年(ワ)第五六号不当利得返還請求事件につき熊本地方裁判所宮地支部において本件「波野村工事分担金条例」の効力が争われ、裁判官から条例原本は議決書綴から分離して別個に編綴した方がよいのではないかという趣旨の勧告を受け、被告人古澤が被告人後藤に条例の議決書を前記議決書綴から分離して別個に編綴するように命じ、同年八月頃被告人後藤が那須野道治にその旨指示を与えて条例原本綴(同号の九)として編成させたものであり、告示綴(同号の二)は波野村においては昭和二七年頃から告示すべき文書とその控とを合わせて割印を押捺し、右控を編綴したものであることがそれぞれ認められる。

公訴事実(一)記載の文書は現在前記条例原本綴には編綴されていないが、前記条例公布写には「二月二十四日原案可決」と記入され、その下方に波野村議会の議長の職印が押捺されている旨の表示がなされていることからすると公訴事実(一)記載の文書には右と同一内容の記載と同村議会の議長の職印が押捺されていたことが推認され、前記条例原本綴に編綴されている公訴事実(二)記載の文書には青ゴム印で「昭和卅一年参月卅日」と朱ゴム印で「原案可決」とそれぞれ押印されてあり、その下方に同村議会の議長の職印が押捺されている。後述のとおり前記告示綴には波野村々長の決裁を受けて公布した「波野村工事分担金条例」の公布文原本の控と「失業者の退職手当に関する条例」の公布文原本かその控がそれぞれ編綴されている。本件各条例が制定された昭和三一年当時被告人後藤が庶務主任と書記を兼ねていて条例に関する事務を処理していたことは前記第二の(一)に述べたとおりである。

以上の各事実を合わせ判断すると、外部からは送付と目すべき事実行為を弁識しにくいけれども、本件各条例は波野村議会において議決された後同村議会の議長から同村々長に対して送付されたことが認められる。

(2)  「波野村工事分担金条例」の公布について

前記告示綴に編綴されている「波野村告示第四号」の書面には骨筆のようなものによつて「波野村工事分担金条例を次のとおり制定した(「した」の左側に「する」という記入があつて、二本の線によつて削除された形跡がある)ので公布する 昭和三十一年二月二十四日 波野村長 古澤継喜」と記入され、同書面上欄余白右側に波野村々長の職印による割印、やや中央に「古澤継喜」の印、左側に「後藤」の印がそれぞれ押捺されている。

右括孤内に述べたとおり、「………制定する」の「する」を削除し、その右側に「した」と記入して訂正をなした形跡があるが、これは被告人後藤の当公判廷における供述によると、村長から議会に条例案を提出するに際し被告人後藤は通常謄写版により右提出用の書面の他に余分に印刷しておき、その議決後右余分の書面の内二通の字句を訂正し、一通は公布文原本として一通はその控として使用していたが、「波野村工事分担金条例」の公布に際してはその議案提出用の書面と共に印刷した書面が不足し、公布文原本の控については「波野村工事分担金条例」を制定する旨の記載のある右書面を書き写す際誤つて「制定する」と記入したので、これを前述のように訂正したものであることが認められる。右訂正個所には訂正印は押捺されていないが、その筆跡及び文字の色彩が同一であることその他書面の形状からして同書面の作成ないし訂正がその日付頃より後になされたものとは認められない。従つて、同書面自体の形式及び前記告示綴に編綴されている書面の性質、内容からすると前記告示綴に編綴されている「波野村告示第四号」の書面は「波野村工事分担金条例」の公布文原本の控であることが認められる。

被告人両名の当公判廷における各供述によると、本件各条例制定当時波野村においては通常被告人後藤が議案提出用の書面と共に余分に印刷した書面の内二通の字句を条例公布文に訂正して日付を記入し、同村々長たる被告人古澤の決裁印を受けたうえその承認の許にいずれにも同村々長の記名押印をなして公布文原本及びその控を作成して公布文原本とその控を合わせて割印を押捺し、公布文原本かその控のいずれか一方を前記告示綴に編綴し、他方を同村役場の掲示板に掲示して公布し、掲示したものについては掲示後はそのまま廃棄処分に付していたことが認められる。

右各事実に照らすと、「波野村工事分担金条例」の前記告示綴に編綴されている「波野村告示第四号」(控)と同一内容の記載及び同村々長の記名押印のある公布文原本を同村役場の掲示板に掲示して公布しその後廃棄した旨の被告人両名の各供述は信用することができる。

(3)  「失業者の退職手当に関する条例」の公布について

前記告示綴に編綴されている「波野村告示第九号」の書面を見るに、同書面には謄写版により「議第十九号 本村職員の失業に対する退職手当支給条例制定について 本村職員の失業保険法適用除外について失業者の退職手当支給条例を次のとおり制定する 昭和三十一年三月十九日提出 波野村長 古澤継喜」(原文のまま)と印刷されているが、冒頭の「議第十九号」を削除してその右側余白に「波野村告示第九号」、制定文中の末尾の「………制定する」の「する」を削除してその次に「したので公布する」、日付の「三月十九日提出」の「三」「十九」「提出」をそれぞれ削除して削除された「三」「十九」の右側にそれぞれ「四」「一」といずれもペンで追加記入し、同条例の公布文書に改めた形跡があつて、「する」の訂正個所を除く他の訂正個所及び「古澤継喜」の下方にそれぞれ波野村々長の職印が押捺されたうえ、同書面の上欄余白に同村長の職印による割印が押捺されている。

右の事実に被告人後藤の当公判廷における供述を合わせ判断すると、「失業者の退職手当に関する条例」の公布については前記(2) で述べた通常の場合と同様な方法で被告人後藤が同村々長たる被告人古澤の決裁を受けたうえその承認の許に公布文原本とその控を作成し、公布文原本とその控を合わせて割印を押捺し、いずれか一方を前記告示綴に編綴し、他方を同村役場の掲示板に掲示して公布し、掲示したものについては掲示後はそのまま廃棄処分に付してしまつたことが認められる。

(4)  証人等の供述の信用性について

波野村における条例については公布手続がなされていなかつた旨の第二回公判調書中藤本輝男、同那須野道治、同楢木野次人、第三回公判調書中証人佐伯易夫、第五回公判調書中証人木村正成、第六回公判調書中証人楢木野元一、同古澤正人、第七回公判調書中証人那須野道治の各供述部分はいずれも供述自体曖昧であり、前記告示綴に編綴されている各書面に照らし信用できない。

(四)  村長の署名に代る記名押印の有効性について

前に述べたとおり、地方自治法第一六条第四項及び波野村役場公告式規則(類推適用)によると条例の公布文にはその末尾に村長の署名が必要であるところ、本件各条例の公布文には前記認定のように村長の署名はなく、それに代えて村長の記名押印がなされている。

そこで、署名に代る記名押印の効力について判断するに、商法中の署名については「商法中署名スヘキ場合ニ関スル法律」があつて、同法に「商法中署名スヘキ場合ニ於テハ記名捺印ヲ以テ署名ニ代フルコトヲ得」と規定されており、商法上においては署名に代えて記名押印することが法律上認められている。条例の公布文になす署名についてはこのような特別規定はない。そうすると条例の公布については署名は自署に限られ、記名押印をもつてこれに代えることは公布文を無効にするものであろうか。

地方自治法第一六条第四項が条例の公布に当つて当該地方公共団体の長の署名を要求しているのは、長が条例に署名することによつて公布すべき条例を確定し、かつ公布をなす主体を表示することによつて権限を有する行政庁の行為であること及びその執行の責任の所在を明確ならしめるにあると解される。そうだとすれば、村長の記名押印にも署名同様の効果を認めてよいものと解すべきである。従つて、署名に代る記名押印を無効とすべき理由はないから当時作成された前記各条例公布文はいずれも有効と解すべきである。

念のためにつけ加えるが、公布文の作成は議長から送付された条例を印刷した文書そのものになされることが条例の特定のためには明瞭であるけれども、公布の要件としては必ずしもこれを要するものではなく、他の用紙に公布文を作成しても条例を特定することができれば足るものと解すべきであるところ、本件各条例はいずれも前記条例原本綴、前記告示綴、条例公布写によれば他にまぎらわしい条例はなく、またいずれも提出原案が可決されていて特定にかけるところはないから、本件認定の各公布文を以て原本と認めるに充分であるというべきである。

(五)  結論

以上述べたとおり、本件各条例についてはいずれも有効な公布文原本が既に存在していたのであつて、後日になつて被告人両名が本件各条例の右公布文原本と同一内容の公文書を作成したところでその内容には何等虚偽はなく、従つて虚偽公文書作成罪には当らないし、またそれを役場に備え付けても同行使罪にも当らないものといわなければならない。

よつて刑事訴訟法第三三六条により被告人両名に対しそれぞれ無罪の言渡をする。

(裁判官 岩隈政照 松澤博夫 大田朝章)

別紙

波野村役場公告式規則(抜すい)

(規則の公布)

第二条 規則は、会議に於て議決した日から起算して七日以内に公布するものとする。

2 規則を公布しようとするときは、公布の前文、年月日、及び役場名を記入して役場の印を押し、その末尾に村長が署名するものとする。

3 規則の公布は、役場前の掲示場或は必要に応じ公衆の見やすい場所に掲示して行う。

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